見えないものは信じない

正確には、識ることが出来ないものは信じない。

 

愛は見えないではないか?

見えるよ、眼差しに見えるじゃないか。

識ることできるじゃないか。

 

スピリチュアル?

なんのことかさっぱり解らない。日本語で言ってくれ。

 

簡単な例を言うと、幽霊、は信じてない。

見たことがないから。

誰それさんは見たかもしれないが、私は私が見ない限りは信じない。

 

幽霊なんて。

命、ってそんなもの?

自我がそれほどに確かなものなら、生きるとは果てなき煉獄ではないのか?

命、ってそんなもの?

 

私にとって命とは、例えば大海に現れる鯨の背のようなものだ。

 

人間の自我とは関係なく、それは現れたり消えたり、している、と考えている。

大きな何かの一部、時折切り離されて、一個の命という形になって現れる。

バクテリアも象も人も薔薇の花も。きっと宇宙も。

 

量子力学が見せてくるこの世界、まことに不思議で不可解で、理解することはできない。

人間の直感や経験から、それはかけ離れすぎている。

そうは言っても、こうしてパソコンやスマートフォンを使えるのはその理解できない量子力学のおかげなのだ。

わたしたちはそれを、ミクロの世界でみることは出来ないが、マクロの世界で識ることはできる。

だれでも、識ることや学ぶことはできるのだ。

 

しかし今、私が幽霊を見たと言って、何がそれを証明するのだろう。

それは私個人の経験であって、普遍的な事実ではない。

私個人の、感情に過ぎないのだ。

 

占いはロマンティックだ。

恋をした時などはとくにね。

しかしそれはあくまで、心の遊びである。

自分の行く先を占いなどに頼らない。

どこの誰かもしらない、誰かに、過去のこと未来のこと、指図されてたまるものか。

 

人は容易に騙される。

あげく金銭をとられて被害者ぶっても、笑われるだけだよ?

 

人に頼る気持ちを、自分に頼ってみよう。

必要なものは見える。

必要なものは聞こえる。

必要なものは感じることができる、識ることができる。

それがすべてであると、私は考えている。

もし、本当に、見えないもの識ることのできないものに何か真実があるのだとしても、

それを自身で見ること識ることができないのだとしたら、それが私の実力なのだ。

金銭などと引き換えに教えてもらう?ズルして生きるのは信条に合わない、いらない。

 

だからさて、ここに経験と知識によって限りなく不確定要素を減らすことのできる

投資ゲームが容易されている。

識るのだ。学習を怠けてはいけない。

わたしの頭にはスーパーコンピュータが搭載されているもん。多少型落ちでも。

使わなきゃ損だ。

 

真実は見えるんだ。他者と共有できるものなんだ。

全て。