庭と祖母の思い出
初めて花を育てたのは、小学生の高学年の頃、コスモスであった。
思えば、どこで種を仕入れたんだろう?
玄関前の固い土に種をまく私に、日陰のそんなところでは育たないと、祖母に言われたのだが、祖母の庭は彼女の手掛けた花いっぱいで、他に植えられそうなところはもうなかった。
はたしてそれは、いかにもかよわい様子ではあったが、花を咲かせてくれたのだった。
コスモスが好きであった。
紅い花弁はビロードのように華やかで、ピンクや白の花弁はシルクのようにすべすべしてみえる。
中学に通うバスの通り道にコスモス畑があり、雪国のことで花が咲くころにはバスの窓はひといきれで白く曇る。
その白く曇ったガラスごしに見るコスモスはパステルカラーの絵のようにガラスを染め、中学の多感な私の心を別世界へと容易に誘った。
初めて覚えた花の名前はおそらく桔梗だ。
紫色に咲く花の名を祖母に問い、答えてくれたことを覚えている。
他には紫陽花、イチジクの木、つるバラと覚えている。
祖母は花と小鳥の好きな女性であった。
今、私は彼女と同じことをしているのだ。
花をみていると飽きない。
人の目にこんなにも美しいのは、昆虫にとって見やすいものが、たまたま人の目にも見目好い、ということのほか、稲がそうであるように、美しい花はそうすることで人に繁殖をさせているのかもしれない。
花の美しさ、というものはない。
美しい花がある、だけだ。
と書いたのは小林秀雄で、彼は、花というより、名匠がこれ以上ないというほど精緻なカットを施したダイヤモンドような美しい文章を書く。
今、私の庭ではたくさんの花が咲いていて、あんまりいろいろ植えたのでなにがなんだかわからなくなってしまっているのだが、目立つ花に、アネモネとポピーがある。
ポピーは、よく日焼けして健康そうな陽気な女の子のよう。
アネモネはというと、美しく我儘でいささか高慢な深窓の令嬢といった感じ。
大きな可憐な花の中心部は黒く、大きな瞳を思わせる。
可憐な花は、まるで毛皮のショールのような葉に囲まれて咲く。
また、アネモネは咲いている期間中、開いたり閉じたりするので、余計に擬人化してしまう。15時くらいになるとこの花は、閉じ始めるのだ。
晩夏になると咲く酔芙蓉が楽しみでならない。
いったいぜんたい、その美しさは何のためなのか。
芙蓉系のつぼみが好きだ、
ギュッと握られたような丸いつぼみ。
ほろりとほどけるように咲くさまは、薔薇のそれとはまた違って、美しい女性の破顔のよう。
カモミールの香りが好きなので、ラベンダーとともに相当数植えているが、育つ育つ、ワサワサと凄まじい繫殖力である。
香り高い植物はいい。
そっと撫でると、うっとりするような香りで応えてくれる。
今、祖母が生きていたら、この庭を見たら、喜んでくれただろう。
一緒に、何をどこに植えるか話し合って、そんな楽しみができただろう。
ごめんね、おばあちゃん。
わたしはいい子じゃなかった。
だけど、本当はあなたが好きだったし頼りにもしていたんだよ。
親子、の世代はあまりに飛んではいけない。
といったら、遅くにやっと子供を産む人には悪いのだが。
子供が十分に大人になり、さまざまのことが解ってくるとき、あまり世代が飛ぶと
親が亡くなっていることがある。
これは子には酷なことだ。
わたしはいま、息子の役にも立たないが、生きている、ということが務めである。
彼がもっと大人になるまでね。
私がこの世を去る時、この庭をみて、ああお母さんはいつも花を植えていたな、
そう思い出してくれるだろうか。