それは本当に出来ないことか?

90歳の、バリバリのヨガインストラクターがいる。

本当にバリバリ、綺麗な体の線、きびきびとして、しなやかな体の動き。

 

言い訳はできない。

それとも彼女はお金持ちでお金かけているから?

生まれつき丈夫だから?

お金は体を柔らかくはしてくれないよ。

生まれつき丈夫は人はたくさんいるよ。

 

私は専業主婦ではない。といって専業主婦を否定するつもりは全くない、それはまた別な機会に話そう。

愛する二人の息子であり、今でも愛する人の妻であり、仕事を続けてきた。

忙しいよね。

朝起きると、ああ奴隷生活の始まりだ、なんて。

 

しかし、そんな生活の中でも、ランニングや水泳を楽しみ、ハイキングを楽しみ、スキンダイビングやらなにやらを楽しんできた。

夫の理解あればこそではあった。

子供が生まれてから、自分の誕生日は何もいらないから一日自由にしてほしい、と頼んだ。その一日を主にハイキングに使っていた。

その代わり、家事に手抜きはしなかったし、留守にする日にち分の、食事を作って出かけていたから、かえって夫は感心してくれた。

山頂から子供たちに電話をかけると、お母さんすごいねーと無邪気な声が愛おしかった。

 

私のことを羨む人たちがいる。

時間があるから、お金があるから?

どっちもないよ。

あるのは、ただ憧れだ。

見知らぬ世界への憧れ、経験したことのない感情への憧れ。

エンジンは私の心臓で、燃料はお米だもの、お金なんかいらないよ。

交通費?

貯めなさいよ。ちょっとずつ。

 

年齢?そうだ、それこそが、言い訳だ。

こんな歳だから、出来るわけない。

でもわたしはやったよ。

やればできるんだよ。なんだって。

 

誰も連れてってくれないもの?

だったら、家にいればいいではないか。

かぼちゃの馬車でも待っていればいい。

 

そんな人たちにかまけていられない。

蹴り飛ばして先へ行くのだ。

憧れは尽きない。

 

歳だから。

お金がないから。

体力がないから。

どうせ私なんて。

そう考える前に、本当にそうだろうか?言い訳ではないのか?本当に自分の手足は動かないのか、よくよく考えてみることだ。

テレビを観ている時間にストレッチをすることさえ、出来ないというのだろうか?

 

お金がない?

ならば、近所の川や公園に出かけてみるといい。

食べられる雑草がいくらでもある、知識さえあれば採集して楽しむことができる。

ちなみに知識は図書館で借りる本から得られるから、無料だ。

可愛い花が沢山咲いていて、豪華な花束さえ手に入る。

 

言い訳をして人を羨む、なんてもったいないことをするのかと思う。

動かせば動く体を動かさないなんて、勿体なさすぎて、見るのもいや。

 

わたしの心が使えるのはわたしの身体しかないし、わたしの身体が使えるのはわたしの心しかないのだ。

ふたつがタッグを組んで、憧れに飛び込んでいく。

恐怖・驚き・喜び、ありとあらゆる感情に満たされていく。

 

僕は、思い出よりも憧れを愛する。

登山家のガストン・レビュファの名言。

 

憧れを愛そう。