シーカヤックのこと

初めてシーカヤックに乗ったのは、知床の海だった。

この時のために、家の近所のカヌー練習場で基礎は教わっていた。

ガイドさんとの初カヤック、5月の海は冷たく転覆すれば命取りになりかねないので、ガイドさんも表情が固かった。

とはいえ、普通の観光船ならばこんなに岩肌には近づけないし、海に落ちる滝の水しぶきを浴びることも出来ないのだから、カヤックの良さは充分に感じた。

 

次が、小笠原諸島の父島である。

長年、憧れた土地であった。

20代のころ、移住計画を立て、仕事も決め、もう出立するばかりという時に、足を痛めてしまった。当時、小笠原に医師はおらず、この足を引きずって島へ行くことは諦めなければならなかった。

もう、訪れることはないな、と思っていたが、その時はやってきたのだった。

シーカヤックスキンダイビングを4日間、ガイドさんのお宅に泊まり込み行うという

旅で、いかにも自由そうな感じが、不自由そうな生活への不安を大きく上回る。

島へ着き、ガイドのイチさんに挨拶もそこそこに、海が荒れ始めているから南島へ先に行こうということになった。

南島!!

それこそ若き日、写真で見たあの美しい扇池のあるところではないか!!

そこに、観光船ではなく、カヤックで行く、浮かされたまま気づけば漕いでいた。

 

一時間あまりを漕げば島が見えてきた。

岩のアーチをくぐれば、そこは写真でみた、美しい海と岩の作り出すダイナミックな光景であった。

こうなれば、もう、カヤックにも陸地にもいられない、許可を得ると海に入る。

サメがいっぱい!!

おたまじゃくしのようにサメがいる、サメ池と言われるだけのことはある。

美しかった、こんな美しい海、風景を陸地から黙って見ていることができる人たちが私は不思議でならない。

そんなものだろうか。

一体になりたい!!と思わないのだろうか。

だってこんなに美しいのに。

自由を感じた?とイチさんに訊かれたことが印象的だった。

それこそが、身体を使って得られる快楽だ。

 

伊豆の海でも練習のように経験したが、次は西表島

この時、好きなポイントで、カヤックを降り、引っ張りながら泳ぎ、また乗っては漕いでいく、という経験ができ、カヤックの旅、というのはこうやって行っていくんだなあと、イメージすることができた。

西表は山が深く海が青く、素晴らしい島であると思う。

 

私には競争心がない。

他者との競争に耐えられるだけの強さがないのだと思う。

代わりに、何か憧れを持つと、対象に向かって猪突猛進といった性質を持っている。

自由な遊びがしたい。

エンジンは私の心臓だ。

ただそれだけを頼りに、美しいものの中に飛び込んでいきたい。